日本の『産経新聞』(2023年1月4日付)1面には「『民主』を装う強権国家」という記事が掲載された。「民主主義の形」という連載の一回ではあるが、事実上、中国批判の記事となっている。
この「『民主』を装う強権国家」という記事では、「習政権は近年、中国の政治は『民主主義』だと言い張っている」、「『民主は多様』であり、『独裁とは矛盾しない』とも言い切った」と習近平政権の民主主義の理解はおかしいと遠回しに述べている。
しかし、このような「中国でも民主主義体制が施行されている」という表現は、習近平が初めて述べたことではない。毛沢東も「中国は民主主義である」と述べていた(註1)。そして併せて中国共産党に味方する者には民主の方法を採り、敵対する者には独裁的方法を採るとも述べていた(註2)。これは一般的に社会主義国における政治理論で「敵・味方の理論」と呼ばれ、民主と独裁を相手によって使い分けることから「人民民主主義独裁」とも呼ばれている。
この意味では、中国は特に「『民主』を装っている」わけではない。そもそも、日本などと社会主義国における「民主」の定義づけが異なるのである。確かに、ルソーやモンテスキュー的な民主から見たら、中国など社会主義国の「人民民主主義独裁」は「民主」とは呼べないであろう。しかし、「民主主義の形」というシリーズ特集であれば、社会主義国における「民主」が日本人などが想像する「民主」と意味が異なるという点には言及してほしいものであるし、この点に触れなければ中国の正しい理解や批判は難しいものとなる。
まとめると、この「『民主』を装う強権国家」の記事は、民主主義を語るシリーズの一部でありながら、中国が言う「民主主義」とはその定義づけが異なることを見落とし、中国側の定義を再確認することなく「民主」を素材に中国を批判する記事であったと言えるであろう。日本でも中国に関する情報は多くあるが、中国側の定義や日本の差異などを併せて示す論はほとんど見ないと言ってもいい。中国ビジネスを行い、現地情報を得るならばこのような視点も持った上で中国を分析しなければならない。
<註>
(1) 例えば、毛沢東は中国を「人民民主主義専制の国」と述べていた。毛沢東「関于正確処理人民内部矛盾的問題」『毛沢東文集(第7巻)』人民出版社、1999年、206~207頁。
(2) 毛沢東・前掲註(1)212頁。
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海外リーガルサポートマガジン 第 10 号『中国は「民主」を装っているのか』
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高橋くん、その通り。That‘s Rights!中国は人民民主主義の理想を立てて、建国したのですね。これを知らずして、「民主を装う」と語るのはいかがなもかと思う。ただ、建国当初の理想が変質してまわないようにしてもらいたい。
当時は日本軍もひどかったが、国民党政権もひどかった。この歴史の脈絡が現在につながっていることを言わずして、一概に現在だけを語るなかれと言いたい。
翻って、アメリカの民主主義、ブラジルの民主主義、変質してしまったようです。『民主主義の死に方』、この本をオス・スメぇー!🤓